学習塾や英語教室、その他習い事に通うことが出来る生徒がいる一方で、通うことが出来ない生徒もたくさんいます。
核家族化が進み、共働きやシングル家庭の増加により、子どもだけで家の留守番をして親の帰りを待っていたり、児童クラブで放課後を過ごす子どもたちが増えています。
家から離れている場所に塾があるので行きにくい・・子どもだけで移動するのは危険・・オンラインを繋いで受講するといったことはまだ難しい・・など子どもだけで行動することには限界があります。
私も小学生の時は、いわゆる鍵っ子でした。
放課後は家に帰って一人で留守番。親が帰ってくるまでいい子にして過ごすことがその日その日の目標となっていました。
私はその時間をどう過ごすか自分なりに考え、学校の宿題をしたり自習で行いましたが長くは持ちませんでした。
日に日に勉強への意欲は薄れ、テレビを観たり、レコードをかけたりして親や友達がいない寂しさを紛らわすような一人遊びの方へシフトしていきました。
小学校時代のほとんどがそういった生活となりました。
中学に入ると、他の子たちとの学力格差に愕然としました。
一つは学力不足、もう一つは知らないことが多いことでした。
小学生の頃に塾や習い事に通っていた子たちは「情報量」が多く、また勉強のやり方を確立している子どもたちがほとんどでした。
知らないことが多い自分が恥ずかしく、さらにテストの成績が悪い自分に嫌になり、自信がどんどん無くなっていきました。
幸い私の両親は成績のことを責めたりせず、なんとかせねば!と一緒に考えてくれたので救われたし、今からスタートという気持ちになることが出来ました。
この頃、実は思っていたことがありました。
「家の目の前に学習塾があれば行けるのになぁ」と。
その後、学力や気力が復活し、中学校時代で小学校でロスした時間を取り戻すことが出来、無事進学校の高校へ入学することができました。
しかしまた同じ失敗を繰り返すことになりました。
スタートが立ち遅れていた私にとって高校に入ること、その地域で偏差値の高い高校に入学することがゴールとなっていたため、入学後は燃え尽き症候群となり、3年間を遊びに費やしました。
結果は大学受験に失敗・・浪人することになりましたが、なんとこの地域には予備校は無いため自宅で浪人、夏期講習や冬期講習だけスポットで別の遠いエリアに移動し下宿して受講することになりました。
そのころはもう自我を持っていたので、ただ親に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
特にお金の負担や将来への不安を持たせてしまったことを。その時ふと再び同じような思いが頭に浮かびました。
「家の目の前じゃなくても自転車や歩いていける範囲に予備校があればなぁ。お金も時間も節約できるし、効率的に受験勉強できるのに・・」
「ナイトライダーのように自動でやってこないかなぁ予備校」と。
一年浪人の末、無事大学に入学し、社会人になり、結婚して子供が出来て・・そして子どもを育てていくにつれて習い事を行わせているときに、結構送迎って大変だなぁ、発表会などあれば土日関係なく、遠方まで何度も送迎・・我が家ではなんとかこなせましたが共働きで忙しいご家庭の場合は困難な事だと思います。
その時にまた思い出しました。
「教室が来てくれないかなぁ」と。
親も大変です。仕事が忙しい時期に子どものお世話が同時にあります。
昔よりも今の方が共働き世帯は増えています。
ということは困っている保護者や、子どもに我慢させて何もさせていない家庭も多いのではないかと感じていました。
そして会社員時代に同僚からもよく聞きました。
「子どもの学習機会の少なさによる学力の低下」が心配だと。
共働きのため、子ども一人では塾や教室は遠く、通わせるには危ない、でもこのままじゃ他の子に比べて学習の面で置いてかれてしまいそうだし、将来に影響してしまうことが不安。
それを聞いた時に、
「何十年もの間、同じ問題が解消されずに残っているんだな」
「これでいいのか?仕組みを作ってたくさんの人たちの不安解消と、子どもたちの未来に向けて、学びの場を寄り添う形で届けられないものか?」
…そう思い、走る教室を誕生させることになりました。
小学校時代に1度目、大学浪人時代に2度目、子育て中に3度目、会社員時代に4度目と何度も繰り返し想っていた
「近くに教室が来ればいいのに」が実現しました。
そして塾や教室はこちらから行くものだ!という既成概念から、自分たちの近くに来るものだ!というパラダイム変換を社会の中で多くの人たちに起こしてもらい、学習機会の格差をどんどん解消していくために「走る教室」をたくさん創っていきたいと考えています。
地域や境遇を越えて子どもたちが主体的に活動し、未来を豊かに自信を持って過ごしていける社会に繋いでいくことを使命として活動していきます。
一般社団法人WAFF 代表 椛本要一